ヤマイの反省の話題

ヤマイの反省の話題

エロ漫画家の苦悩と反省のおはなし

僕は漫画が描きたかったのか、ペンネームを名乗りたかったのか

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人情報がうっかりミスや悪意によってネットに流出、なんてことが度々問題になる昨今、先日僕もやらかしてしまいました。

 前回の記事「Clip Studio Paintで初めて漫画原稿を仕上げてみた感想」において僕のパソコンからのスクリーンショットをいくつか掲載したのですが、僕の本名から名前が付けられたホームフォルダの画像をばっちりそのまま載せてしまったのです。2日後に気がついて慌てて修正したのですがちょっとばかり手のひらがじっとりしてしまいました。

 なんて、万単位の読者を抱え、時には炎上すれすれの記事を書いたりして大人気のブロガーさんみたいなことを書いてしまいましたが、全くそういうのとは正反対の僕の立ち位置からするとまさに杞憂、という気もします。まあ少なくとも修正前に当該記事を読んで下さった素敵な皆さんの怒りを買うような行いだけはするまいと心に誓った次第です。

 

 

かにつけて心配症な僕はそうやって不安におののく一方、本名がばれることはそれほど深刻な事態なのかね?なんてことも思ったりしています。ペンネームを名乗っている作家さんで本名を公表している人なんていくらでもいるし、僕の場合昔何度かちょっとしたイベントに出演させて頂いて人前に素顔を晒し、少し前までならその写真の1枚くらいはネットで見つかったような気もしますから今更本名がばれたくらいで騒ぐようなレベルでもないですし顔の本をやっているでもない。ついでに友達も少ない。こうやってネットに何事かを書き込む行為そのものがすでに個人情報を脅威に晒すものに他ならない現代で何をうろたえているのやら、といったようにも考えるのです。

 

もそも僕は正体を隠すためにペンネームを名乗っていたわけではなかったように思います。偽名を名乗るという行為そのものに昔から憧れがあったんです。

 こういう体験をした人というのが他にいらっしゃると嬉しいのですが、幼い頃僕はどうも物心がつくというか、自分がこういう人間であると認識する以前からアニメなどを見まくっていたみたいです。それゆえ自分はあのアニメの主人公たちのような容姿と名前であるとうっすら期待していたらしくて初めて鏡に写っているのが自分の姿であると認識した時、自分の名前というものを把握した時のなんとなくがっかりしたような気持ちを今でも覚えているんです。

 それから時間が立ち、やがて自分の名前や顔にもそれなりの愛着は湧いてきましたがそれでも自分以外の何者かになることへの憧れは残っていたようです。少年雑誌の読者投稿欄や深夜ラジオの投稿コーナーでペンネームを名乗る人たちがなんだか妙に眩しくて、あんなふうに偽名を名乗るチャンスを伺っていました。

 最初にその機会が訪れたのは高校卒業間際のこと。繁華街で街頭アンケートのお兄ちゃんに捕まった時のことです。僕はとっさにアンケート用紙に偽の住所氏名電話番号を書き込みました。それ以外は真面目に受け答えしてやったせいか、そのお兄ちゃんは僕が買い物に入った店にまでついて来てしきりと自分たちの事務所だか集会所だかに来ないかと誘ってきて鬱陶しいことこの上なかったのですが、その間ずっと偽名で呼ばれることに関しては何だかまんざらでもなかったものです。偽の連絡先を教えたことで逃げきれる目算が付いていることへの安心感や口八丁で相手をだまくらかしている自分に酔っているようなところを差し引いても別人に変身することの楽しさというのが確かにあったように思います。

 

の時に名乗った名前が「山井坂太郎」でした。これは実は僕が小学校の5年か6年の頃に考えたオリジナルの正義のヒーローの変身前の名前であります。当時僕のクラス限定で変な奴や変な行いに対して「病や〜」とはやし立てるのが流行しておりまして、姓はそこから、名前は同級生の名前から一文字拝借して作った名前だったと記憶しています。

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 それっきり忘れ去っていたその名前を何故5、6年もたってから唐突に思い出し、アンケート用紙に書き込んだのか、今となっては全くわからないのですが兎にも角にも「山井坂太郎」はそれ以来僕のもうひとつの名前になりました。それからさらに数年後に漫画を描く時の名前になり、さらに数年後名前の漢字をひと文字変えて今に至るわけですが、そうやって振り返ってみてこの名前の様々な巡り合わせを思い起こすとこの記事のタイトルのような疑問を自分に対して感じてしまうのでした。

 

の場合今の名前を名乗るきっかけが前述のようなものでしたから、多少変ではあるものの一応人間の名前っぽく見えるような名前である必要があったわけですが、最近はぱっと見人の名前には見えない珍妙なペンネームの作家さんが増えているみたいですね。そういう変なペンネームは以前はエロ漫画の世界でのみ顕著に見られるものでしたが、最近では一般紙で活躍されている漫画家さんでもそういうのが増えてきたような印象があります。恐らくは同人文化の延長線上でそういう変な名前を名乗ってもいい空気が醸成されてきたのだと思いますが、そういった歴史的なペンネームの付け方の変遷などきっちり調べたら面白い研究になるかもしれません。

 先日うっかり掲載してしまった僕の本名はアルファベット表記だったので漢字を伏せておけばセーフかな、というところで僕は本名で「あべさん」と呼ばれるのと、関係者から「山井さん」と呼ばれるのとではちょっとだけ違う自分になったような気がします。漫画を描く時だけでなく日常生活でも山井さんの方が有能な人間のようで、本来何事にも自信を持てない人間であるあべさんは山井さんにずいぶん助けられてきたように思います。ペンネームを使っている作家さんでそんな感覚を持っている人は結構いるみたいですね。

 そうなると本名や限りなく本名に近い名前で活動している人や、人間とは思えない珍妙なペンネームで活動している人の作家としての自己イメージというものがどういう風に形成されているか気になるところです。僕の場合本名で漫画を描くという選択肢は初めからありませんでしたが、デビュー前某漫画雑誌投稿ページのハガキ職人だった頃のペンネームは「ジョニ村へろ美」というアホみたいなものでした。その雑誌への投稿がデビューのきっかけだったんですが、もし「ジョニ村へろ美」のままでデビューしていたら僕の歩みも今とはちょっと違うものになっていたかもしれないなんてことを考えます。

 

名が流出して何日かたちましたが僕に何事か不都合があったかというとこれが全くないので逆にちょっと悲しくなります。いやもちろんそのことで掲示板サイトにスレッドが立ってそれがまたまとめサイトに転載されて、なんてことを期待するほどおめでたくもありませんけどね。それにこんなふうに名前にこだわることがいかにも古臭い態度であるというのも感じているのです。

 漫画がエンターテイメントとして高度に完成されていくにつれ、また特にメジャーな雑誌の人気漫画が100%作者一人の力で出来上がっている代物ではないという背景を読者も理解するようになるにつれ、昔に比べて作者の名前という情報の価値が小さくなっていっているのでないかとも思うんです。少なくともネットの言論を見る限り、最近の読者さんは作者のキャラクター化された自画像が作中に登場したり、作者本人の主張が語られることを嫌う傾向にあるようです。作品世界がもはや作者のものではないような、そんな広がりを持つ作品を世に送り出せるような素晴らしい作家さんには自分をシフトチェンジするための趣向を凝らしたペンネームなど無用のものなのでしょう。

 つまり僕はきっと、「山井さん」に甘えているんですね。