ヤマイの反省の話題

ヤマイの反省の話題

エロ漫画家の苦悩と反省のおはなし

時がたつ程に僕はお手本から遠ざかっていく

にとってこのブログの目的の半分はプロフィール欄に書いてあるお仕事募集のアドレスを世間に知らしめることでありますから、本文にも自分の作品のことばかり書き連ねるのは間違いではないのですが、とはいうもののたまには違うことも書いて幅広い層にアピールしていくべきなのではないかとも思うわけです。だからといって突然「俺のおすすめする洋食屋10選」みたいな記事も書けませんので、ここは他の方の漫画の話など書いてみるのがいいのではないかと思った次第です。以下お付き合い願えれば幸いであります。

 プロアマ問わず漫画を描くにあたって目標やお手本にしている作者なり作品なりが誰にでもひとつふたつあるのではないでしょうか。これから紹介させて頂くのは僕にとってのそんな存在で、行き詰まったりした時など折りに触れ紐解いてきた、僕にとっての漫画の教科書とでもいうべき作品です。今僕はまさにこの本を手に取らなければならない状況に自分が置かれていると感じておりますし、これを機会に多くの人に知って頂きたいと思っております。

 問題があるとすればこれから取り上げる2冊の本が現在では入手が非常に困難であるという点でしょうか。こうなると読んでいる方にとってはこの先日のエントリー、

yamai-manga.hatenablog.jp

 「僕の考えた架空の作品」を取り上げた記事とそれほど変わらないものになるのではないかという気がします。色々な方面にとって困った事態ではありますがどうにもしょうがないのでかまわず書いていくことにしましょう。

 

回紹介するのは伊藤重夫先生の『踊るミシン』(北冬書房)1986年、『チョコレートスフィンクス』(跋折羅社)1983年です。僕が購入したのは『踊るミシン』の方が先であります。伊藤先生の漫画の単行本はこの2冊が全てであったように思います。児童書の挿絵やイラスト等を多く手がけられているのでそちらでご存じの方の方が多いかもしれません。

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 僕はこれらの本を買った当時は『夜行』など伊藤先生が作品を発表していた雑誌については何も知りませんでしたから一体何を手がかかりに書店でこれらを手にとったのか、いまひとつ記憶が定かではありませんがとにかく非常な衝撃を受けまして、特に『踊るミシン』は繰り返し読んだのは覚えています。

 

こで『踊るミシン』のあらすじについて軽くふれようと思うのですが、はたと困ってしまいます。なんとも説明しにくいのです。冒頭本編に入る前に『君がいなくなったら僕はダスト・マイ・ブルーム』という11ページの作品が始まります。ブルース・ギタリスト、エルモア・ジェイムスの伝記漫画なんですが、本作はオール描き下ろしなので

この作品も何らかの意図があってここに配置されているはずなのですが僕にはその真意は分かりません。本編で登場人物の口からエルモア・ジェイムスの名前が出てくるシーンは一箇所だけあります。ちなみに僕はこの作品で初めてエルモア・ジェイムスの名前を知りました。

 そして本編が始まります。扉にはタイトルと共に「自殺のための5教程 5つマスターすれば楽に死ねます」とあります。僕はあまり注意深い読者ではないのでこの作品のどこかに5つの教程が隠されているのかどうか、未だに分かりません。

 主人公の浪人生田村は何らかの理由で家を飛び出して友人長井の下宿に身を寄せ、二人して楽器の練習をしてバンド結成を目論んでいる。そこに田村と高校時代に奇妙な縁で結ばれた少女麗花が現れバンドのマネージャーを買って出たところからそれは少しずつ具体化に向けて動き出し…というひと夏の物語が中心にはなっているのですが、これが本筋かというと実のところそうではなくむしろエピソードのひとつでしかなという気がします。じっさいこれ以外にも主人公たちとは直接関わらない幼い姉弟と頭部が鳥で空を飛ぶ鳥男をめぐるエピソードや田村と麗花の高校時代の回想、その他もろもろの謎めいたエピソードが断片的に散りばめられ、物語の全体像はおぼろげにしか伝わってきません。

 ところで『チョコレートスフィンクス考』に収録されている1本目の作品は『「塔をめぐって」より』という16ページの作品なんですが、この作品本編もさることながら著者による解説が僕には衝撃的でした。「”「塔をめぐって」より”は最初150枚の作品として計画され、58枚まで描かれ、最終的な仕上げもなされていたにもかかわらず中断された。その後、本書におさめられている16枚の作品にあらためられた」というのです。

 『踊るミシン』を読んだ何年か後になってこれを読みまして、その時もしかして『踊るミシン』も、というか伊藤重夫作品全般こういうものなんじゃないかと思ったのです。本編の10倍近い分量の物語を背後に隠し、そこから僕や多くの人々のような通俗的な読者が知りたくなるような本筋の核心には直接触れない、でも重大なヒントは隠されているかもしれない上澄みのようなエピソードだけを注意深く抜き出して絶妙なセンスで構成したのがこの本なのではないかと。

 そう思ってあらためて『踊るミシン』を読みふけりますとどのページをめくってみてもコマ割り、構図、台詞が決して派手ではないのに強烈な印象を残します。全編圧倒的に説明不足で「恐ろしく長い予告編」のようでもあり読者にある種の欲求不満の印象を残すのですが、それでいてちゃんとひとつの作品として完成しているという満足感をも与えてくれます。

 

の2冊の本を漫画の教科書とした僕はずっと自分でもこんな漫画を描きたいと思ってきました。実際コマ割りや背景というか風景の挿入の仕方、「ため」などを度々真似しようと試みたりもしました。それは無益なことではなかったと思いたいし、今でもこの2冊が僕の教科書であることは変わっていないのですが、でも僕が今描いている漫画は困ったことにエロであるという点を差し引いても伊藤重夫先生の作品とは全く似ていない、何の関連も伺われないものです。

 僕は「説明したがり」、「分かってもらいたがり」なのです。

 露骨に説明的になることがままありますし、台詞が多いとよく編集者さんに注意されます。そういう説明や理解といったものとはおよそ無縁で、しかも恐ろしいことにそれでいて作品としての読みやすさ、面白さを決して失わない伊藤先生の資質は僕が狂おしく渇望しつつも決して手に入れられないものかもしれません。

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在入手困難な作品について気軽に「機会があればぜひ読んでみて下さい」なんて書くのはいささか傲慢な態度ではあるとは思いますが、それでもこれらの作品が少しでも多くの人の目に触れて欲しいと願います。なんといっても素晴らしい作品ですし、それに僕よりも素晴らしい読者によってこれらの作品のより優れた解釈がなされ、多くの謎が解明され、 僕が伊藤先生の境地に近づくための足がかりが増えるかもしれません。そして『踊るミシン』の初版を持っていることを多くの人々に自慢し(『チョコレートスフィンクス考』の方は2刷なんです)、羨ましがられることができるでしょう。

 

                    
Dust My Broom - Elmore James

 といったところで。