ヤマイの反省の話題

ヤマイの反省の話題

エロ漫画家の苦悩と反省のおはなし

自分が誰かの犠牲の上に生きているのを当たり前と思うくらい図太い方がいいのだろうか

れから書くようなことは今や日本全国でありふれた出来事であり、だから僕と同じ体験をした人もきっと多いのではないかと思います。何度もこういう出来事に遭遇したという人も少なくないことでしょう。

 もう10年以上前のことだったと思います。飲み会に参加していて終電に間に合うかどうか微妙な時刻になってしまったので僕は慌ててその場を辞して駅へ向かいました。

 駅に着いてみると案の定時刻表の上ではとっくの昔に終電の到着時刻を過ぎていましたが、しかしここで予想外の事態が起こっていました。

 手前の駅でいわゆる「人身事故」というやつがあり、終電の到着が遅れていたのです。

 何分か後にやって来た終電に乗って僕やホームにいた他何人かの人々は無事帰宅することができました。たったこれだけのことです。

 

の時いわゆる「人身事故」を起こした方の安否は知りようもありませんがあれはかなりの高確率で亡くなるものだと聞きます。僕はこの出来事をどう考えればいいのか、随分時間がたちましたがなかなか結論に至れません。故意だったのか事故だったのか、どんな事情でそんなことに至ったのか、生死いずれにしても非常に大きな犠牲を払ったであろうそれによってもたらされた「僕が終電に乗れた」という結果は物事の収支として不釣り合いと言えばいいのか、他にもっと適当な表現があるのかもしれませんがとにかくそんなものとして僕の心の隅にずっと引っかかっているのです。

 

の場合の正しい対処の仕方は多分「まあそんなこともあるわな」くらいな感想にとどめておくことなのでしょうね。

 他人の人生に起こった何か重大な出来事が巡り巡って僕の生活にちょっとしたさざなみを引き起こすなんてことはきっとこれ以外にも僕の知らない所で起こり続けているのでしょう。逆に僕もいつかそんなふうに他人の人生に関わることもあるかもしれません。今回はたまたま因果が僕の目に見えるもだったというだけ、ただそれだけのこと。「事故」の詳細が全く分からず事故にあわれた方に向ける言葉も選べない状態ですし結局それ以上先に進むこともできないのですから思いわずらうにも限界があるというものです。

 

んな具合で「人身事故」を引き起こした方を筆頭に名前も顔もわからないけど僕の人生に影響を及ぼした多くの人々に対し必要以上にとらわれる必要もないだろうとは思ったのですが、でも何だかもやもやしてしまうのはこのことについて自分が感じているものを上手く言葉にできないからだと思います。

 いや、正確には言葉にするのが怖いのですね。あるいは言葉にできる人間を演ずるのが怖いと言えばいいのか。

 あの時僕は終電に乗れて大層ありがたかったのは事実であります。多分ここで「いやぁ、ラッキーだったわ。誰か知らんけどありがとうね。わはははは」って言い切れるキャラであったのならこの文章もそれなりに面白おかしく締めることができるでしょうし、もっと日々を楽しく生きることができるでしょう。あるいは逆に罪悪感にさいなまれるくらいであったとしたらそれはそれで美しい文章が書けていたことでしょう。

 どちらにしてももっとシンプルな話になっていたはずです。つまり僕が勝手に何かややこしいものを抱え込んでいるのです。

 

 今回はこんな所で。