ヤマイの反省の話題

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エロ漫画家の苦悩と反省のおはなし

NTR漫画は作品そのものもさることながらファンも怖い

 

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然ですが皆さんはいわゆるNTR漫画はお好きですか。一応描く側の人間として特定のジャンルについて好き嫌いを云々するのは仕事の幅を狭めるようで多少問題があるかと思うのですが少なくとも読者としての僕はあれがとても苦手でして、雑誌でその手の作品が載っているとそのページだけホチキスで止めてしまうくらい苦手なんです。嫌いというのとは少し違いまして怖いという言い方が近いかと思います。

 と、ここまでエロ漫画に日常的に親しんでいる人向けに書き出してしまいましたが一応そうではない方に向けても一通り書いておこうかと思います。

 寝取られもの、イニシャルをとってNTR。読んで字のごとくですがエロ漫画では特に男性が意中の女性を横からかっさらわれるシチュエーションをこのように呼称します。

 主人公の男性は基本的に読者が自分を投影しやすいような際立った特徴のない普通の人物、女性の方はもう少しバリエーションが多いですが清楚系のキャラが多いようです。ここに母親、姉、妹など身内を持ってくるパターンも存在します。このジャンルの場合寝取られると言っても単に他の男性に心が移るというだけではなくその男性の肉体の虜になって主人公の面前で目を覆いたくような痴態をさらすというところまでいっちゃうのでそういう状態を見せられてよりショックの大きい女性がヒロインに選ばれるというわけです。そして寝取る側の男性、こちらは汚いおっさん、チャラ男、キモオタなど読者により深い嫌悪感を抱かしめる存在であればあるほど良いとされます。大抵いやあんた、そこまで悪くなくてもいいでしょうと言いたくなるくらい露悪的でヒロインがいくばくかの罪悪感を持ちつつも快感に悶え狂う様子をわざわざ主人公に見せつけたりしてきます。主人公はどうすることもできず深い絶望感にとらわれ、また本心ではヒロインとこういう関係になりたい思っていたのでその様子を見てついつい自慰行為にふけってしまう、なんてのが定番の展開です。

 事前の心の準備なしに読んだら2、3日鬱になれること請け合いの大層胸糞の悪いジャンルであるということはお分かり頂けたかと思います。人気のあるジャンルなので表現手法にも日々磨きがかかっており前後編に分けて前編では主人公とヒロインの純愛を描き切り、翌月の後編でそのヒロインが寝取られるなんて展開も常套化しております。

 そう、さらっと書いてしまいましたがこのNTRもの、結構な人気ジャンルなんです。

 

NTRが人気ジャンルである理由、一番はシンプルにエッチなものが見たいという読者の要求に高いレベルで応えてくれるからでしょう。シチュエーションのえげつなさに目をつぶれば普段清楚なあの娘があんなことやこんなこと、なんてのはなるほど確かに気持ちが昂ぶるものではあります。

 しかし最も大きな要素はより精神的、逆説的プラトニックな部分にあるような気がします。それは掲示板サイトなどで見かけるこのジャンルのファンの様子から何となく伺えるのです。ファンたちは一種の宗教的熱心さを持ってこのジャンルの魅力を丁寧に語り、多くの人をこの道に誘おうとします。時には純愛系など正反対なジャンルについて語り合っている人達の所にわざわざ出没して宣教に励むといった労も厭いません。こういうジャンルですから当然強烈なアンチファンも少なからずいるのですが、そういう人々に対してこそより一層熱心に、親切にその魅力をアピールし、「君たちにはむしろNTRを好きになる素質がある」と説いてきます。ここに何やら苦行の果に何らかの境地への解脱を果たした行者のごとき雰囲気を感じるわけです。

 ものすごく大雑把に切って捨ててしまうのならマゾに目覚めたってことでいいのかもしれません。主人公に感情移入して深い絶望の向こう側の快楽に打ち震えるのがどうやら一番の楽しみ方のようです。このジャンルのファンは対極にあるイチャラブエロ漫画に対してはやはり物足りないと感じることが多いみたいですが、なかにはそれどころでなくそもそもそういうジャンルの何が面白いのかわからないなんてことをいう人もいるのです。「自分と全く縁もゆかりもない赤の他人同士のイチャイチャを見せられても何も面白くない」のだそうです。僕などはちょっぴり異議を唱えたくなる考え方でありますがまあそれは置いといて、そういう人達からすると自分は憧れのあの娘に指一本触れられないのにあのクソ野郎は彼女を好き放題してヒーヒー言わせている…という状態は作品の登場人物と読者との関係に置き換えても非常にリアルに読む者の心に迫ってより大きなショックを与えてくるのであろうと想像されます。美しく儚いものに対し、それを慈しんで大切にしたいという感情と同時に破壊衝動をも抱いてしまうというのは人間にはよくあることのようです。NTRもまた純愛を希求する思いから生まれてきたものなのかもしれません。でもどうやらこれはNTRの楽しみ方の一面でしか無いようで、シンプルにマゾと断じてしまうわけにもいかないようです。

 女性の皆さんには気分のいい話ではありませんが欲望の赴くままに女の人をあれやこれやしてしまいたいというどす黒い思いとそれが社会的に許されざる感情であるという自覚をともに抱えて生きる人々にとってはNTR漫画に登場する寝取り男たちは嫌悪の対象であると同時に密かな憧れでもあるのかもしれません。性格的にも外見的にもとことん嫌な奴として描かれている彼らに嫌悪感を乗り越えて自分を重ねてみた時、そこにまた別の愉悦があるんではないかと思われるわけです。

 なんにせよ読み手に精神的修養を強いるジャンルであるのは間違いないようです。中にはヒロインに自分を重ねるなんていうアクロバティックな読み方をする人もいるようですがそれなりの素質と訓練がなければNTRものの良い読者にはなれないようですね。ヘビーな愛好者のコメントにある種の悟りを開いたかのような匂いが感じられるのも分かるような気がします。

 

れではなぜ僕はNTRが苦手なのでしょうか。冒頭に書いたように僕のこのジャンルに対する感情は恐怖に近いものであります。ホラーも僕はとても苦手なのですがこれ系の漫画を読んでいる時の心拍数の上がり具合がホラー映画を観ている時のそれとそっくりなんです。またそういう生理的な恐怖感だけではなくこのジャンルのファンになるためには何か不可逆的な心の変化が要求されるのはまちがいなく、その未知の変化に対する不安と煩わしさが僕の苦手意識の正体だと思われます。今自分が受けている仕打ちを苦痛と取るか快楽と取るかの間で揺れ動く調教ものエロ漫画のヒロインの心境と通じるものがあるかもしれません。つまり僕は自分がNTRの愛好家になる可能性も十分にあると考えています。僕にはその素質があるのです。であるからこその苦手意識なのです。

 もう一つの理由として考えられるのは僕が感情移入の度合いをコントロールするのがひどく下手であるということです。時として登場人物の心情をかなりやばいレベルで我が身に引き受けてしまうことがありまして、ついつい作品を作品としてではなく登場人物の人生として見てしまうのです。NTR漫画の主人公にこの調子で思い入れてしまうとかなり困ったことになるというのはご想像頂けるんではないかと思います。これが行き過ぎるとTV版エヴァンゲリオン最終回を見て「なんかわかんないけどシンジくんが笑ってるしまぁいいか」と思考停止して納得してしまうような頭の悪いハッピーエンドジャンキーとか(僕のことです)登場人物の行動や決断が妥当だったかどうかだけで作品を論評するプロセス至上主義(僕のことです)になってしまうのでこういう鑑賞のしかたはNTRに限らずあらゆるジャンルの作品を見ていく上であまり褒められたものではありません。もう少し一歩引いた冷静な大人の受け手でありたいとは常日頃思っているのですが。

 

分がNTR漫画が苦手な理由について書いていくうちに自分の物語との向き合い方についていささかの反省を迫られる方向に図らずもなっていきました。これは自分の送り手としてのあり方とも関係してくると思うのでちゃんと考えておかなければいけないことだと思いますが、しかしだからといって今後NTR漫画を積極的に読んでいこうとも今の所は思いません。前述のようにこのジャンルの愛好者になるには脳内に特殊な受容体を作るようなプロセスが必要でそれはどうも後戻りできないものらしいからです。ネットでこのジャンルにはまると純愛イチャラブ漫画なんか読んでられなくなるなんて意見を見かけまして、それはちょっとやだなあと思うわけです。

 それがたとえ自分とは縁も所縁もない赤の他人に向けられるものであったとしてもヒロインが作中の誰かに恋い焦がれる姿を見るのは、少なくとも今の僕は読者としても描き手としてもとても好きなものですから。

 最後にどうでもいいですけど、こういったオタク系の考察ブログで様々な大人な匂いのする文献を引用してアカデミックに話を進めていくタイプの文章をはてなブログ界隈でもよく目にしますけど、あれってめっちゃかっこいいですよね。本記事でもそんなことができたらきっと書いている僕も大層気持ちいいでしょうし、注目度も段違いでしょうね。そういう下心以前に言い足りないけど上手く文章にできなくて書けなかった何かを表現できていたかもしれない、そんな力を読書は与えてくれるかもしれない、そんな気がします。まあそれは今後の課題としましょう。

 

 今回はこんなところで。