ヤマイの反省の話題

ヤマイの反省の話題

エロ漫画家の苦悩と反省のおはなし

古い映画と比較して最近の映画を腐すような大人にはなりたくないのだが

さんは巨匠ジャン=リュック・ゴダール監督による1965年の映画『アルファヴィル』をご覧になったことがあるでしょうか。この作品、未来の宇宙都市を舞台にしたれっきとしたSF映画なのですがいわゆる特撮を一切用いずその世界観を表現した作品として知られています。

 主人公レミー・コーションが星雲都市アルファヴィルに向かう場面は夜の街を走る自動車によって表現されていたり、アルファヴィルが現実の当時のパリそのままだったり、そもそも主人公のレミー・コーションというのがイギリスのハードボイルド小説の主人公で(そしてフランスでシリーズ映画化されており、それらで主演しているエディ・コンスタンティンが本作でもレミー・コーションを演じています)本来SFとは特に関係ない人物だったりと非常に実験的で人を煙に巻くような作りながら不思議なSF感も何となく感じさせる映画でした。ウルトラシリーズ屈指の謎めいた作品である『ウルトラセブン』第43話『第四惑星の悪夢』に影響を与えたなんてことも言われていますね。

      

作は監督が監督でもありますし既成のSF映画に対する挑戦的意図が込められているようにも思われるので、純粋なSF映画の歴史に組み込んで同列に評するのもちょっぴりためらわれる部分はありますが、まああえてそちらに引き寄せて考えていくと、もし本作を現代にリメイクするとしたらどのように作るべきかという問いかけが頭に浮かんできます。

 例えば最先端のCGを駆使して一見壮麗な、しかしその内実は人工知能に支配されたディストピアである星雲都市アルファヴィルをSF的なガジェットもたくさん登場させて描き出した作品。観たいような気もしないではないですが果たしてそれは『アルファヴィル』のリメイクとして正しいやり方なのだろうかという疑問を持ってしまいます。かといってオリジナルの手法を踏襲して作ってみてもそれはそれでひどく馬鹿馬鹿しいことになりそうな気もします。

 

こまで書いてきて僕はこれは現代においてあまり意味のない思い巡らしなのではないかということも思います。ちょっと偏見の入った考察ですが、生まれた時から映画にCGが使われることを当たり前とし、映像作りにおいて限界となるものはもはや作り手の想像力だけという世界に生きている若い世代がもし『アルファヴィル』のような作品を手掛けるとしたら、そこにどんなふうに作るかといった選択肢がそもそも存在しないのではと思うのです。(実際はいつの時代も世間一般とは異質な趣味嗜好の持ち主というのが一定割合誕生するものなので異なる選択をする人も少数現れるでしょうけど)

 余談ですが真っ昼間の街中をどう見ても車輪で移動しているのが丸わかりな巨大蜘蛛が群衆を追いかけ回しているという、なんだか妙にほのぼのしたパニックシーンが印象的ながっかりモンスター映画の筆頭格、1975年の『ジャイアントスパイダー大襲来』のDVDの有名ネット通販のユーザーレビューを見ていましたら「蜘蛛のCGは〜」と書いているものがありました。もはや特撮とCGがイコールで結ばれる時代になってしまったのだなと感じたものであります。

 僕が経験したアナログな特撮の黄金期は特撮それ自体が驚きや喜びでした。ハイレベルなそれに感動したり、低予算のちゃちなそれに苦笑すること、そのどちらもがとても楽しく、作品の出来とはまた別の面白さがありました。『ターミネーター2』や『ジュラシック・パーク』あたりまではCGも存在そのものが驚きを与える技術だったように思います。

 それから時は流れ今や特殊視覚効果そのものは驚きをもたらすものではなく純粋なツールであり、それを使う人のイマジネーションや技量こそが人々を楽しませる時代になっているように思います。

 それはある意味作り手にとっては幸せなことでしょう。低予算映画の作り手が発想の赴くままに地を這い空を舞い宇宙を駆けるやたらデカかったり多頭だったりメカだったりゾンビだったりするサメが大暴れする映画を制限なく作れてそれを楽しみにしているファンが大勢いる、なんて状況が幸せでないはずがありません。であれば僕は常にそんな状況を大いに楽しむ人間でありたいと願います。願いますけれどでもやっぱり自分の中にちょっとした引っ掛かりも感じるのです。

 

し僕がそんな現代の映画のあり方になんらかの引っ掛かりを感じているとしたら、それは老人のノスタルジーとか感傷とか意固地さといったものであり、若い人がいちいち取り合う必要もないものでしょう。それはつまり実体を持つ小道具、大道具を駆使したいわゆる「特撮」だったりアイディアが映像に先行してそこに映っていないものを見せる『アルファヴィル』のような作品への思い入れであります。若い人に講釈を垂れたら絶対煙たがれるか冷笑されるやつですね。

 でも少なくとも「CGを使っていないというだけで古いSF映画が心無いツッコミの対象としてだけ消費されてしまうような時代にだけはなってほしくない!」くらいのことは主張していきたいものです。

 そして時々はこのブログなどで古いSF映画のことなど思いつくまま書いていけたらと思っています。